ボローニャ紀行(井上ひさし著)
この文芸春秋発行(2008)の冊子は、旅の本ではない。
この本は、井上ひさしの目を通して見た、ボローニアの「創造都市論」に近い。この「創造都市」ということばに引っかかる人がいると思う。
少し、説明を加える。
かって「アメリカ大都市の死と生」というニューヨークの下町の多様性と創造性に注目した著作で有名な都市学者ジェーン・ジェイコブズ女史がいる。彼女は独学で都市の経済学を学び、非常に独創的な都市論を展開した。
彼女こそ最初にヨーロッパ中規模都市である、ボローニアや、ベネチアを、「創造都市」として、着目した人である。彼女は、それらの都市における、職人企業という中小企業のネットワーク型の集積が、「柔軟性、効率性、適応性」に富んでおり、それらの企業こそ柔軟な変化に対応する、「適応型経済」であると特徴づけた。
それは、ボローニアの市民たちのほこりでもある、古き良き物をまもり、悪いところを工夫して良いものを「創造」的に適応して行く伝統である。
それは文化、職業技術、政治にまで敷衍し、「ボローニア方式」とまで呼ばれる世界の経済再生都市モデルとなっている。これが創造都市という言葉の源流である。
話が長くなったが、この本の著者井上ひさしは、この、こむずかしい経済再生の内容を全く書かないで、同じ事を、旅人の目と言葉で発見、市民との対話で引き出している。
このボローニアのまちづくり(創造再生都市)こそ、今の日本の不況にあえぐ、中小企業の目指すべきまちづくりではないだろうか。
かって、小さく多様な物づくりの伝統は、日本の中小企業のお家芸だったのだ。トランジスターにせよ、テレビにせよ、現在ではテルモの開発した世界一細い針(痛くない注射針)など、数限りない。
何故、日本の創造的ものづくりの伝統が困難になったのか、この本に答えが出ている。 結論から言うと、文化を日本ははき違えてしまった。
文化にこそ物づくりの原点があり、基礎となることを、この「ボローニャ紀行」(井上ひさし 文芸春秋 2008)は、はっきり証明している。
ものづくりの伝統は文化である。
この簡単な当たり前の言明を日本人は忘れてしまったといえる。
著者井上ひさしははっきりと、こう書いている訳ではない。
しかし、その文脈をたどるとどうしてもこの結論になる。
私がこの紀行文を推薦するのは、簡単な言葉で文化経済の難しいことが書けるという著者の力量に感心したのと、この経済の考え方と「パタンランゲージ」の包含する経済に対する態度に非常に相似性があると感じたからである。
関連商品
ミラノ 朝のバールで
あてになる国のつくり方―フツー人の誇りと責任 (光文社文庫)
イソップ株式会社 (中公文庫)
ゲーテ「イタリア紀行」を旅する (集英社新書ヴィジュアル版)
わがままなやつら
by G-Tools
author: 中埜博